OSSと翻訳。
さも一般的な話のように述べるが、飽くまで僕個人の話である。
ボランティアを主体とするような場合のオープンソースソフトウェアの場合、パッチを書いたりコントリビュートしたりする人には、それを自分が使いたいというモチベーションや、その機能を使うための環境、使う機会といったものがある。
ところが、それを翻訳できる人は、そもそも翻訳しなくても理解できるので、翻訳版への欲求も低く、わざわざ翻訳版を使う機会もない*1。
そうすると、翻訳に参加しようという意思がまるで起きないのである。そりゃ、原語を理解できない人にどうしても使わせたいツールだ、とかなら翻訳するかも知れないが、そもそも大抵の場合原語というのは英語な訳で、「英語だから無理とか甘えてんじゃねぇよ」となる。
だいたい、翻訳と言っても大抵の言語は言葉同士が完全に一対一で対応するものでもなく、文脈によって訳語が変わるので、実際に色々使いこまねば訳語を確定出来ない場合も多々あるし、文法構造の互換がないともうそもそもの言語リソースの取り扱いから手を入れないとどうにもならなかったりする。それでもローカライズに比べれば楽だろうが、やっぱり手間が馬鹿にならないのだ。苦もなく読めて使えているからといって翻訳も苦もなくできるわけではない。
それを別に苦もなく使えていて、訳したところで大して恩恵もないのに、わざわざ無償で時間と労力を差し出す気には、正直なところ、僕はなれない。
*1:それどころか、誤訳のせいで混乱が生じたりするので、原語のまま使う方が好ましいことさえある。